いいやん!大分

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これまでの放送

豊後王 大友宗麟

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南蛮文化発祥の地として、今もその面影を残す大分市。
戦国時代、豊後の国を治めた戦国大名・大友宗麟の功績により全国でいち早く南蛮文化が華開きました。
「大友宗麟」、その名を日本史の授業などで聞いたことがあるという人は多いとも思いますが、実は当時のヨーロッパにも知られたグローバルな人物でした。
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今から約420年前の1595年にヨーロッパで描かれた1枚の日本図「ティセラ日本図」では九州の部分が「BVNGO(ぶんご)」と記されています。
そこで、今回の「いいやん!大分」は豊後王として世界に名を馳せ、現代でもファンが多い戦国大名「大友宗麟」の魅力に迫ります。
宗麟は1530年に豊後府内(現・大分市)に大友家の長男として誕生しました。20歳の時に家督を継いだ宗麟は大友館と呼ばれる屋敷で政治を執り行います。
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現在の顕徳町にあった大友館は200m四方の広大な敷地を備え、一度に200人の武士が集まって儀式を行えるほど大きな建物だったと言われています。現在は「大友氏館跡」として発掘調査が行われており、池を備えた庭園の跡や、海外からもたらされた高級陶磁器の破片などが見つかっており、当時の大友家の繁栄をいまに伝える貴重な歴史遺産となっています。
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有力な大名が天下統一を狙っていた当時、先進的な発想をもった宗麟は世界との交流を目指します。
21歳のときに宣教師ザビエルを府内へ招き入れるとキリスト教の布教を認めるかわりにポルトガルとの交易を進め、南蛮貿易の利益を独占。
西洋文化も開花させ豊後府内を日本トップクラスの国際貿易都市に進化させます。

そのため、府内には「日本初」と呼ばれるものがたくさんあります。
「西洋式病院」「外科手術」「合唱」「演劇」。変わったところでは日本初の「ボランティア組織」も誕生したと言われています。
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そして日本で初めて大砲を輸入したのも宗麟でした。「国崩し」と呼ばれる日本初の大砲(※複製)は「大分市歴史資料館」に展示されています。宗麟の歴史を知ることができる場所は他にもたくさんあり、「大友氏遺跡体験学習館」もその1つです。
遺跡の出土品や当時の府内の様子を常設展示している館内は分かりやすい解説も付いており、大人から子どもまで楽しめる学習施設となっていますので、ぜひ足をお運びください。

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宗麟について調べると見えてくる郷土への愛情。豊後府内という国を豊かにしたい、発展させたいという想いが多くの功績へと繋がっていったのではないでしょうか?
世界から注目された郷土の英傑「大友宗麟」。その想いを今度は私たちがしっかりと受け止めていきたいですね。

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《地上デジタル放送》
★TOSテレビ大分 1月31日(日)11:45~
《各ケーブルテレビ局》
★OCT大分ケーブルテレコム
★OCN大分ケーブルネットワーク
★EOS東大分システム

放送:平成28年1月31日 リポーター:財前 真由美

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